小説「私たちのストーリー」

更新情報

  1. ホーム
  2. 小説「私たちのストーリー」
  3. 第一回「入学式」(1)

第一回「入学式」(1)

2018.04.01

 柔らかな春の陽射しが背中を押す。二両編成の小さな電車を降りると、目の前には住宅街が広がっていた。右手には古い神社がある。朝八時を回ったばかりなのに、お参りしている人が三人ほどいる。お参りを毎朝の習慣にしているのだろうか。

 「毎朝」という言葉が頭に浮かんで、ふっと笑みが漏れた。今、目の前にあるこの光景がこれから六年間、私の日常になるのだ。新しい革靴に少し違和感を覚えながらも、私の心は温かく、満ちている。右肩には新しい鞄。グレーのブレザーの袖は少し長い。小学校では毎日ジーンズだったから、プリーツスカートなど何年ぶりにはいたのだろう。少し足が肌寒いような気がして不安になる。

 

「あ、ほんとに入学式って書いてある!ほんとに夢じゃなかったんだ!」突然、隣でお母さんが歓喜の声を上げた。住宅街を五分ほど進み、十字路を左折すると学校の正門の前に、白い立て看板が見える。

「鷗友学園入学式」

 本当にそう書いてある。たぶん書道の先生が書いたであろう、美しくも力強い文字で。打ちっ放しのコンクリートの校舎を背景にその看板はあった。すでに新入生と思われる親子が何組も記念写真を撮っている。霞がかかった春の空、グレーの制服と満開の桜のコントラスト。美しい写真がとれそうだ。

 塾の先生の勧めで、一昨年の学園祭に来たとき以来、私の憧れの場所。あのとき、地下の体育館で一生懸命に学校の紹介をしてくれたお姉さんたちは、今はもう中学三年生になっているはずだ。きらきらしてまぶしくて、かっこよかった。憧れた。でも、「この学校を目指したい」と私が言う前に、先にお母さんが「自分が入学したい!」って言ったからちょっと引いたのもよく覚えている。そんな憧れの場所が、今日から私の学校になる。

 

「写真撮るから、早くお母さんと並びなさい。並んでる人たち、いっぱいいるから。」

 お父さんは、今日のためにミラーレス一眼とかいう立派なカメラを買った。しかも今日は平日なのに、仕事をわざわざ休んでくれた。そこまでしなくてもいいのに、と正直あきれるけどそれは言わないでおこう。お父さんの部屋には、たくさん本がある。特に歴史小説が多いと思う。休みの日はリビングで本を読んでいることが多い。お母さんと比べると口数も多くないし、いつも仕事で帰りが遅いから、最近あまり話していない。でも、合格した日、お父さんが泣いていたのを私は知っている。そして昨日も何にも言っていなかったのに、今日の入学式に来てにこにこしながら、写真を撮っている。 

 お母さんは女子校出身だから、すぐにこの学校を第一志望にしようと言っていた。今でも同級生とよく女子会をしている。中学高校の部活動で得た友達は一生ものなのだそうだ。だから私にも運動部に入って青春を謳歌してほしいらしい。昨日も部活動の一覧表を見て、「何に入ろうかなあ、バスケかバレーじゃない? えっ?新体操とかバトントワリングもあるの?すごいね。」なんて、自分が入部しそうだった。

 私は、こんな両親と三人で多摩地区の緑の多い街に住んでいる。小学校には仲の良い友達も好きな男子もいたけれど、その街の中学校よりこの学校を選んだ。電車を乗り換えて一時間かかる。今日は三人で登校したけれど、明日からは一人で通う。正直不安だ。それでも、私はこの学校にどうしても通いたかった。理由はうまく説明できないけれど、この学校に入るためならと、苦手な算数もがんばることができたのだ。

 

 「お父さんも、一緒に写真に入ろうよ。誰かに撮ってもらおうよ。」

 私は言った。「鷗友学園入学式」、そう書かれた看板の前に三人並ぶ。今日は私たち家族の記念日だ。そして、鷗友学園での私のストーリーがはじまる。

小説「私たちのストーリー」