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5月11日 巡検 最後のクラス

2012.05.11

全員そろって出発します万葉の小径は烏山川を暗渠にした遊歩道世田谷線の踏切こういう日の緑道は最高です世田谷城址の土塁を歩く空堀の中で説明豪徳寺の広い境内招き猫で有名です井伊直弼のお墓の前で世田谷八幡の二の鳥居崖の上に本殿があります力石 かなりの重さのはず

先週から始まった中学1年生の地理の巡検が、今日、最終日を迎えました。
今日は、風がちょっと強かったもののさわやかに晴れ渡り、気持ちの良い巡検ができました。

豪徳寺は、もともとは中世の吉良氏の居館であった世田谷城の主要部だったところで、
世田谷城主吉良政忠が伯母のために「弘徳院」という庵を結んだのが始まりです。
その後、彦根藩主井伊直孝が井伊氏の菩提寺として伽藍を整備し、井伊家代々の墓所となりました。
多くの女性や子どものお墓が並び、また、桜田門外の変で命を落とした井伊直弼のお墓もここにあります。

世田谷八幡はさらに古く、後三年の役の戦勝を記念して源義家が祀ったとされています。
後に、世田谷城主の吉良氏により社殿が再興され、発展しました。
境内には、神事であった相撲の土俵があり、祭礼の時には今でも農大の相撲部が奉納相撲をします。
江戸時代に大人になる儀式で使ったか、神事として力比べをしたと思われる力石も多数残っています。
また、末社として湧水の辺に厳島神社もあり、“源氏の八幡神社に平氏の厳島神社?”と思いましたが、
厳島神社は平家滅亡後も源氏をはじめ代々の権力者に崇敬されていたようで、びっくりしなくても良いようです。

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