【鷗友枕草子】Essay#3「私の修学旅行」①
「私の修学旅行」①
11月末に中学3年生は沖縄へ、高校2年生は奈良・京都へ修学旅行に行ってきました。
出発前に何人かの生徒に「帰ってきたら感想や写真をホームページに載せたいんだけど、どうかな?」と声をかけたのですが、、、続々と感想を私(「鷗友枕草子」中の人)に送ってくれました。
シリーズ化されそうなくらいに、みんな熱い思いを伝えてくれます。まだまだ感想を執筆中の人や、写真を整理中の人もいます。
今回は第1回として、なんと修学旅行帰着の翌日に感想を書いてくれた、高2のMさんの文章を掲載します。
Mさんは、文系クラスで日本史を選択しています。中学生のころから本をよく読み、文章を書くのが好きな知的好奇心旺盛、感性豊かな鷗友生です。
一番下にはMさんが撮影した写真も一部掲載します。どうぞ、古都の空気を味わってください!
文系の私から見た修学旅行 高2Mさん:文系日本史選択・軽音楽同好会
今回の修学旅行では、古都の奈良・京都への旅を通して、多くのお寺や神社を参拝し、仏像に出会い、個人旅行では得られない深い学びを得ることができました。
まず、私は文系の日本史選択なので、日本史で学んだ様々な文化や建築を実際に間近で見ることができ、感動の連続でした。資料集で見ただけでは分からない本物の仏像やお寺だけが持つ気迫や美、そこに込められた人々の祈りを感じ、強く心を動かされました。お寺を巡るなかで様々な技術も目の当たりにし、優れた古代の技術に驚かされました。また、仏教の教えを深く感じるとともに、仏像や建築、絵の美しさに、昔の日本の人々が仏教に惹かれ信仰を始めたことに納得しました。1日目の最初に訪れた室生寺は、多くのお寺が女人禁制であった中、女性の参拝を許可したことから「女人高野」と呼ばれており、長い間蔑まれてきた中で救いを求めようとした女性の歴史も現地でしみじみと感じました。法隆寺の滑らかな曲線の美しいエンタシスの柱からは、シルクロードを通って遥々伝わってきたギリシャ建築の影響を感じ当時の日本の世界との繋がりを感じましたし、唐招提寺では気迫のある盧舎那仏や千手観音像を見て、幾度もの挫折を超えて日本に本物の仏教を伝えようと努力を尽くした鑑真の意思の強さに触れることができました。また、飛鳥寺の仏像が何度も困難に見舞われながらも村人を含む多くの人々に守られてきたというお話を聞き、1400年間同じ場所に存在し続けることの意味の重さを感じました。
今回の修学旅行では本当に多くの仏像に出会いました。ただその見た目の美しさに感嘆するばかりではなく、仏像を通して昔の人々と対話することができたように思います。仏像や彫刻には、美と力があり、優しさがあり、そして、人々の様々な思いがありました。知恵や慈悲の神様、雨を司る神様、地獄にまで救いに迎えに来てくださる神様など、多種多様な仏像に出会い、困難の多く無常な人生を生きる人々の、救いたい、救われたいという願いや、思い通りにいかない毎日の中での切実な祈りを感じました。また、欲望や邪悪な心を表すという「邪鬼」の姿からは、自分の中の醜い心を律しよう、心を清めようという人々の意思が感じられました。仏像から感じられる昔の人々の願いは、現代に生きる私たちにも通じるものばかりで、祈りや願いは時代を超えて響くものなのだと実感しました。そして、私自身もそこに自分の祈りを重ねることができました。
今回の修学旅行では先生の「自分の推しの仏像を見つけよう」というお話もありました。多くの仏像の中で、特に私が心を惹かれたのは、法隆寺の百済観音像です。飛鳥文化の柔らかな南梁様式で作られた、繊細で優美な佇まいや、光背を支える棒が竹そっくりの形に彫られているというユニークさに魅力を感じました。また、彫刻では東大寺の点灯鬼、龍頭鬼がとても愛らしく、動と静の対比が見事で、心を射抜かれました。鎌倉に生まれた「玉眼」という水晶を使ったリアルに目を作る技法も間近で見ることができ、その優れた技術に感動しました。さらに、仏像を巡る旅は、ただそこにあるものを見るのではなく、「見えないものを見る」旅でした。例えば、東大寺法華堂では当時は、丁度仏様の顔の辺りを照らすように窓から太陽光を取り入れられる仕組みになっていたというお話を聞き、当時の様子を想像しながら不空羂索観音像を中心にずらりと並ぶ荘厳な仏像を見ることができました。様々なお寺で、当時の参拝の様子や人々の心のあり様を想像し、垣間見ることができたように思います。また、東福寺の庭園は「龍が海中から黒雲を巻き起こして天上する姿」を表していると聞き、白と黒の動きのある模様の中に天に上る龍の姿を見たような思いがしました。
人々の祈りや思いと関係して、仏像やお寺に織り込まれている様々な物語も味わうことができました。例えば、自主研で訪れた祇王寺は苔の美しいお寺だったのですが、『平家物語』に登場するお寺でもあり、平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王が清盛の心変わりにより都を去り母と妹と共に出家し、最後は皆で往生を遂げるというお話がありました。祇王も見たであろう苔と紅葉の静謐な空間を歩き、祇王は決して不幸ではなく静かで落ち着いた心境で過ごしこの世を去っていったのではないかと想像を巡らせました。また、東大寺戒壇堂で、四天王は一体一体の神様に「国の成長を願う」、「人々の悪しき行いを書き付けておく」といった役割やエピソードがあることを学び、それぞれの力や造形美と共にそれらの物語をも感じることができました。
また、私は4日目の自主研(※)のテーマが「自然と人との関わり」だったのですが、嵐山の美しい紅葉や庭を見ることを通して、自然とお寺の調和を感じるとともに、昔から人々が自然にどのように美を見出しどのように関わりを持ってきたのか、思いを巡らせることができました。また、東福寺の見事な紅葉は、ありのままの自然という訳ではなく、庭師の方によって木の高低や色合いが細やかに考えられて作られていることを知り、人々が守り繋いできたからこその美しさなのだと感じました。古都の奈良・京都を旅する中で、その趣のある街並みや艶やかな瓦屋根の風景から、歴史や昔からの文化が今にも息づいていることも実感できました。
今回の修学旅行は、本物を見て感じる中で様々な仏像や建築の1つ1つに意味があることを知り、当時の人々の様々な思いを想像することができた貴重な旅でした。そして、この旅の中で、「歴史」とは、ただの出来事の連続ではなく、人々の日々の営みや、繋がり、思いや祈りの連なりのことを意味するのだと知ることができました。これから、旅を通して広げることができた仏教の世界や、得ることができた歴史への視点を、日本史の勉強や日々の生活に繋げていきたいと思います。また、今後、自分でお寺や神社を訪れる際には、この修学旅行で得られた知識や視点を活かして、さらに自分の世界を広げていきたいです。
※自主研とは、クラス内で5~6人のグループを作って、事前にテーマやコースを決めて、1日京都を自分たちの力で巡る研修です。先生のアドバイスを受けながら、綿密な計画を立てて実行します。鷗友学園の修学旅行の伝統のイベントです。途中、ハプニングがあってもグループのメンバーで力を合わせて乗り切り、大きく成長します。
※文章は、すべて生徒本人が書いたまま掲載しています。修正や加筆などはしておりません。